楽しい。だから伝えたい
落語は400年近い歴史を持つ日本の伝統的な話芸。たった一人でおもしろい話を演じる。そんな落語に挑むイギリス人女性がいます。
満席の会場のあちこちから沸き起こる大きな笑い声。老若男女250人の笑い声が重なって渦のように広がっていく。その中心にいるのはイギリス生まれの女性落語家、ダイアン吉日さんだ。舞台の上で座布団に座り、派手な着物の衣装を着て、大きな仕種、鮮やかな表情で面白い話を語るダイアンさん。聞いているお客さんも楽しそうだが、演じているダイアンさんもそれ以上に楽しそうに見える。
落語というのは400年以上の歴史を持つ日本の伝統的な話芸だ。庶民の生活を題材にした身近でおもしろい話、聞いて笑える話を1人の演者が舞台で語る。もともと落語家のほとんどは男性が占めており、女性、しかも外国から来た人が舞台で演じるとなると、異色中の異色ということになる。リバプール出身らしくビートルズのイエローサブマリンの音楽に乗ってダイアンさんが登場。最初は静かだった客席だが、ダイアンさんの元気な声とパフォーマンスに触れたとたん、一気に緊張がほぐれて笑い声が広がる。
日本に3ヶ月だけいるつもりが・・・
ダイアンさんが日本に来たのは1990年。小さい頃から外国の絵本や人形などが大好きだったダイアンさんは、バックパッカーとして世界中を旅していた。日本に来るきっかけは、旅先でできた友達から「日本はおもしろいよ」と聞いたから。最初は3ヶ月の滞在予定だったが、着物、華道、茶道などの日本文化に魅せられて、「気がつくと20年以上になってしまいました。長い3ヶ月ですよね」と大きな目を輝かせて笑うダイアンさん。
落語との出会いは、ある有名な落語家の舞台を手伝ってくれないかと誘われたこと。英語落語の先駆者だったその落語家の舞台の上で座布団を整えたりする仕事だ。落語を全然知らなかったダイアンさんだが、大好きな着物が着られるチャンスだと、二つ返事でOKした。そして、初めて見た落語。たちまち魅了された。1人で座って話しているだけなのに、いろいろな場所に行ったり、いろいろな人と話したりする姿が見えた。「すごいパフォーマンスだと思った。たった1人で作るイマジネーションの世界。箸や丼を持っていないのに、うどんを食べる場面では器の熱さや出汁の匂いまで伝わってきて、食べたくなっちゃった」。
すぐに行動するダイアンさん、早速落語道場に通い始めた。手ぬぐいと扇子という、たった2つの道具を使って、酒を飲んだり、盆栽の枝を切ったり、焼き芋を食べたりを表現する。座ったままで、歩いたり、走ったりもできる。目線の使い方で登場人物が2人にも3人にも、大勢にも見える。落語に夢中になったダイアンさんに舞台に上がらないかと、誘いの声がかかった。子供の頃から友達を笑わすのが好きなのに、恥ずかしがり屋で人前で話すのが苦手だった。でも、思い切って引き受けた。舞台で緊張するダイアンさんに勇気をくれたのは、お客さんだった。「お客さんが笑ってくれて、すごくうれしかった。それで、自信がついて、やる気になれた。今はもう、どこに行っても大丈夫です」。落語の師匠方や先輩たちから学び、お客さんから力をもらって経験を重ね、ますます落語が好きになっていった。
ダイアンさんは落語を日本語と英語で演じるだけでなく、古典落語から創作落語まで、幅広いレパートリーをこなす。創作落語の中では、日本に来てびっくりしたこと、おもしろいと感じたことなど、自分自身の実際の体験を盛り込むこともある。「駅前で配られる無料のティッシュペーパーや、電車の中で寝ていて突然起きるサラリーマンたちなど、おもしろい発見はいっぱいあります」と話す落語家ダイアンさん。生活のすべてが落語につながっている。
みんなが落語を楽しめるように
最近は日本人の落語家の中にも、英語や韓国語など、外国語で落語をする人が増えてきた。英語落語に挑戦する人にとって、ダイアンさんは力強い助っ人だ。外国語で落語をするときには、単にことばを翻訳するだけでは上手く伝わらないことも多く、いろいろな工夫が必要になってくる。
例えば、「饅頭怖い」という有名な話がある。集まった人たちが自分の一番怖いものを告白し合うのだが、1人の男が自分は饅頭が一番怖いと話す。それを聞いた人たちがいたずらしようと、饅頭をいっぱい並べた部屋にその男を閉じ込めるのだが、実は・・・、という話だ。ダイアンさんは、その饅頭を寿司に翻案した。「だって、外国人には饅頭がわからないから」。状況の詳しい説明が必要なこともある。例えば、男同士が風呂の中で話す場面。「日本の大きい風呂についての説明が必要です。小さいバスタブに大人の男が一緒に入っているところを想像してみてください。すごく変でしょう」とダイアンさん。そして、「何がわかって、何がわからないか、自分が一番よくわかっていると思う。私も最初、わからないことだらけだったから」と笑う。
物や状況の説明が必要なのは、外国人だけではない。ダイアンさんは中学校や高校で英語学習の一環として英語落語を披露する機会も多いのだが、「実は、日本の子供たちも、古い習慣を知らないことが多い。だから説明が必要になってくるんです」。また、英語を学んでいる日本人相手に英語落語を演じるときには、同じ台詞を不自然にならないように英語と日本語の両方で言ったりすることもあるそうだ。例えば、日本人が外国人に話す場面では、頭の中の考えを日本語で話し、実際の会話を英語で話すといった具合だ。落語や英語を少しでもわかってほしい、楽しんでほしいというダイアンさんらしい心配りだ。外国、異文化で言葉に苦労した経験からくる優しさかもしれない。
笑顔とチャレンジする勇気
ダイアン吉日という名前は日本語の「大安吉日」を連想させる。「とてもラッキーな日」という意味だ。ダイアンさんいわく、「一番ラッキーなのは私自身。人を笑わせる落語という仕事に出会えたから。もちろん、言葉がわからないとか大変なこともあったけど、今は毎日、本当に楽しい」。そして、異文化の生活に入っていくのに大切なことは、「笑顔とチャレンジする勇気」だと話す。いつも明るく元気に行動しているダイアンさんを見ていると、なるほどと思えてくる。
今でも旅行好きのダイアンさんは、毎年数回は海外に出かける。そこで、落語はもちろん、着物、茶道、華道、風呂敷など日本文化を紹介するイベントを積極的に行っている。「私がこんなに好きな日本の文化を世界中に紹介したい。そして、みんなを笑わせたい。こんな素敵なことを知らない、紹介しないなんて、もったいないでしょう!」
赤い鞄、赤い靴下、赤い縁のサングラス。大好きな赤を身にまとい、ダイアンさんは今日も、日本を世界を走りまわっている。